現行の児童ポルノ法では、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」と規定されているが、肌の露出やキャラクターの行為などが、どの程度にまでなれば「性的なもの」と判断されるのかといった定義も同じく示されていない。仮に、創作物が規制された場合、製作者や所持者が、場合によっては国会が「性的なもの」と判断していなくても、警察や裁判所に「性的なもの」と判断されれば、その者は逮捕されることになる。
規制の論理と問題点
強力効果論
性的虐待を題材にした児童ポルノを視聴する行為は、実際に児童に性的虐待をはたらく行為とは同一のものではない、ということは言うまでもないが、「児童ポルノを見る者は、いずれは児童に実際に性的虐待をはたらくはずである(あるいは潜在的な性犯罪者である)」という強力効果論的な主張がなされることも少なくない。
このような主張に対して、同様の論法で、犯罪性の高い行為を題材にした表現物を鑑賞する者は潜在的な犯罪者である、という主張も通る事になるとの反論も見られる。たとえば、「レイプを題材にしたアダルトビデオを観る者は潜在的な強姦犯である。又は、いずれは実際に強姦事件を起こすはずである」「痴漢もののアダルトビデオを観る者は潜在的な痴漢犯罪者である」「殺人を題材にしたホラービデオを観る者は潜在的な殺人犯である」という論法が通じれば、「テロを題材にしたアクション映画を観る者は潜在的なテロリストである」という主張も通る事になる。との反論も見られる[114]。
そもそも、ポルノと性犯罪との因果関係を肯定し、ポルノがその鑑賞者を性犯罪者に変化させる力を有するとする強力効果論は、ポルノが、無数に存在する引き金の一つに過ぎず、しかも、もともと犯罪的な傾向の強い人間に対してしか引き金として機能しない、とするクラッパーの限定効果説によって、学問的には退けられている。
被害者支援の問題
児童ポルノ法にくわしい奥村徹弁護士は、国や自治体、国内のNPOが、「声高に規制を求めた割には全く(被害者の)救済に動かない」として、これを問題視しており[115]、弁護人としての経験から、「児童ポルノ・児童買春の被害者は、条文上存在するが、実際には姿が見えない」と指摘している。また、教育、啓発及び調査研究の推進を定めた第14条に、予算がつけられていないことも指摘している[116]。
なお、児童ポルノ法が、風紀取締りのための風俗犯罪処罰法でなく、被害児童の保護のための法律であることを明確にする趣旨から、「児童ポルノ」の用語を「児童性行為等姿態描写物」と改めることと、あわせて被害児童の保護の具体的な実施主体として児童相談所などを規定するとともに、厚生労働省に設置された審議会などにおいて、フォローアップの体制を制度化することなどが民主党からは提案されている。
供給者・加害者側の取り締り
また、児童に対する性的虐待の取り締まりは、加害者側の取締り強化を前提とすべきところ、現状の議論では、児童ポルノと、それを鑑賞する所持者を摘発することのみに集中しているとの主張がなされている。
そもそも、児童ポルノ規制の根拠とされているのは、ポルノの被写体になることによって傷つけられた被害者となる児童の存在である。しかし、その供給者(あるいは加害者)は、被害者となる児童を被写体にした大人(あるいは出演を承諾した親)である。日本ユニセフ協会によれば、児童に対する性的虐待の多くが、被害者児童の保護者、つまり親や親戚などの身近な関係にある親族によるものであるという。
評論家の赤木智弘は[120]、日本ユニセフ協会が、子どもを搾取の対象としている「「親の欲望」を大きくは取り扱わない」として批判している。サブカルチャーに属する「アニメやゲームというスケープゴートを批判して、親やマスコミの溜飲を下すような口当たりのいいキャンペーンを行って募金を集めるのではなく、しっかりと現実を直視して、本当に子供たちのためになるキャンペーンを行うべき」と提言している。
なお、児童に対する性的虐待者(チャイルド・マレスター)は、状況的虐待者(小児性愛者でない者)と選好的虐待者(小児性愛者)に分けられるが、加害者の大半を占めるのは前者(状況的虐待者)である。また、非商業的な場面での被害は、その大半が、児童と顔見知りであり、児童に対して親的な立場にある大人によるものである。具体的には、両親・保護者・親戚などの親族の他、幼稚園・学校・大学などの教師、児童のための施設の職員、教会の聖職者、その他スポーツクラブのコーチ、外国への交流旅行に関わる大人などがあげられる[122]。
ローマ・カトリック教会の聖職者らによる性的虐待事件も参照
定義年齢の問題
児童ポルノとは、児童に対する性的な虐待の記録物であるが、児童性的虐待の綜合的な定義は、性交同意年齢を基準としている(SCOSACによる)。にもかかわらず、日本における児童ポルノ法の定義では、性交可能な性交同意年齢(13歳)に達している18歳未満の未成年者が対象に含まれている。これは、成熟した判断能力を備えていない未成年者を、永久的な記録性をもつポルノグラフィの被写体とされる危険から保護する目的によると説明されている[123]。
しかし、高校生(18歳除く)も含む被害児童(援助交際などの当事者もこれに含まれる)の定義年齢が多少高すぎるという議論がなされていることも事実である[124][125]。日本ペンクラブは、「対象年齢を「十八歳未満」とするのは「児童」の概念から甚だしく逸脱しており、せめて義務教育年齢以下とすべき」と提言している。なお、青少年健全育成条例では、18歳未満の児童との性交又は性交類似行為は、これを罰則をもって禁止しているが、婚姻年齢に達している16歳以上の「年長青少年」については、公権力をもってその性的自由に不当な干渉を加えるものであるとした谷口正孝裁判官の意見も存在している。
なお、単純所持を規制した奈良県の条例[127]においては、法律上の児童のなかでも特に小学生以下の者について、心身の未成熟、不充分な判断能力、犯罪被害に遭う危険性が特に高いこと、犯罪に対する抵抗力が乏しいことなどを理由[128]として、その定義年齢が13歳未満と定められている。
所持の規制の問題
現行法においては、実在する児童を被写体とした児童ポルノは単純所持の規制対象とされていないが、違法な電磁データは、その複製が容易であることから、その流布の危険性の高いこと[129]を根拠として、新たに児童ポルノを対象に加えることが主張されている。衆議院議員の鳩山邦夫は、「単純所持を認めているとやはりそこから穴が広がっていって、結局その所持した物がインターネットに載るというようなことがあり得るのではないかと思います。麻薬と同じような考え方をしてもいいのではないか」との考え方を示している[130]。
なお、これと同様の考え方を根拠として、わいせつ物にあたる児童ポルノデータを所持していたケースで、それ自体は販売意図がなかったとしても、刑法175条にいう「販売目的所持」にあたるとして、2006年に有罪判決が確定している。ただし、法学者の森尾亮(久留米大学)は、この判決が、175条に規定のない予備[131]行為の処罰にあたり、罪刑法定主義に反するとの否定説を支持している。また、銃器・麻薬等の単純所持の規制には理解を示しつつも、「わいせつ物との接触は(人間もまた動物である以上)私たちの社会生活においてほとんど不可避なもの」であり、また175条の保護法益が性道徳の保護にあるからには、現行の「児童ポルノ処罰法の規制対象には含まれないような「合成写真」や「アニメ・ポルノ」等」までもが対象となりかねないとして、上記判決に批判的な見方を示している[132]。
また、法学者の松原芳博(早稲田大学)は、近年の日本では、危険社会論を背景とした抽象的危険犯の形式の下での処罰の早期化の傾向が顕著であり、「しばしば犯罪に用い得る一定の物ないし情報の提供・取得や所持・保管を構成要件化する立法形式が採用されている」[133]との認識を示している。その上で、内心の思想や意思を対象とする心情主義 [134]と対立する行為主義 [135]を擁護する観点から、特に児童ポルノの単純所持の違法化には、「「所持」や「保管」は、本来、社会的外界に顕現する以前の私的領域にとどまるものであって、その犯罪化には行為主義との関係で特別の正当化を必要とするように思われる」との懸念を示している[136]。
ただし、捜査関係者の間では、「児童ポルノの愛好家には画像の所持、強姦やわいせつ行為、殺害した上での強姦、わいせつ行為?という三段階がある。「単純所持者」の摘発は凶悪犯罪を未然に防ぐためにも必要だ」との見方がなされていることも事実である[137]。
また、単純所持の規制には、それに伴う捜査権の拡大の危険性も指摘されているが、元警察庁職員で弁護士の後藤啓二は、反復取得や有償譲受など明白な行為に限定するとした民主党案について、「既に所持するポルノは『合法』となるうえ、『取得の禁止』では、誰からどこで入手したかの立証が難しい」[138]「冤罪のおそれなどということを理由に児童ポルノの単純所持を禁止するべきでないというのは、子どもを児童ポルノの被害に遭うことから守ることの重要性の認識に欠けているとしか思えません。民主党の懸念を正当化してしまえば、すべての犯罪で冤罪の危険はあるわけですから、殺人でも強姦でもあらゆる行為を罰してはいけないことになってしまうのではないでしょうか」と批判している[139]。ただし、衆議院議員で弁護士の早川忠孝は、「証拠を集めない限り、警察は強制捜査ができない」ようにするため、あくまで「取得行為や製造行為の立証も必要になるような規定」ぶりを提案している[140]。
なお、専修大学の山田健太は、東京新聞[141]の特集記事で、単純所持の禁止が、「思想のチェックにつながりかねず表現の自由の大原則を変えることになる。1度作った例外が、その後一般化する例は少なくない」との懸念を示している。
抽象的危険犯、 治安維持法、および 焚書も参照
ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ
架空の創作物
児童ポルノ規制派には、「実在しない架空の人物の出演する作品といえども『準児童ポルノ』として扱い、これらも法律により規制すべきだ』との主張も見られる。ひとつは、性道徳(社会法益)の保護を理由としたものであり、もうひとつは、実在する被害児童(個人法益)の保護を理由としたものである。
性道徳の保護
前者については、カナダでは、道徳を堕落させる罪(カナダ刑法典第163条)[142]として、被写体の存在しない創作物が規制の対象とされている。具体的には「(a)事実にせよフィクションにせよ、犯罪の実行を扱うもの(b)犯罪の実行の前後を問わず、事実にせよフィクションにせよ、犯罪の実行に関連するイベントを扱うもの」が「犯罪コミック」として刑事罰の対象とされている。
このカナダの規制は、いわゆるリーガル・モラリズムに立脚したものであるが、ある個人の行為が、たんに道徳的でないことを理由として、その当人のものではない特定の価値観を、外部から法によって国家権力が強制的に実現すべきことを主張するリーガル・モラリズムは、充分な判断能力をもつ個人の自己決定権(ことに精神的自由権)を擁護するリベラリズムとは鋭く対立する[143]。
またリーガル・モラリズムは、不快感情を根拠として他者の自由の制限を求める不快原理[144](ただし不快物非公開の原則は、リベラリズムと調和する)によって助長される[145]ものであるが、弁護士で衆議院議員の枝野幸男は、2008年7月のオープンミーティング[146]で、法と倫理の区別をはかる立場から、不快感情[147]を根拠とした規制が、ポルノグラフィ全般の規制に及ぼされることに危惧を表明している。
なお社会学者で首都大学東京教授の宮台真司は、リーガル・モラリズムに関し、日本における児童ポルノ規制法が、青少年の人権を擁護する法案から青少年の道徳を規定する法案へと変容しているとの認識を示しており、日本国憲法第19条「思想・良心の自由」に規定される「法と道徳の分離」の原則、すなわち法は道徳を命令してはならず、道徳的に中立な法の下、市民同士が何が道徳的かをめぐるコミュニケーションをすることのみを許容するという原則に対する理解の欠如によって、「市民が自己責任でなすべき道徳的コミュニケーションが、「お上」に委ねられてしまう」として批判している。
また、法学者で東京大学教授の奥平康弘は、成人向けコミック規制の是非をめぐる裁判[148]で、一般に成立している慣習倫理を根拠とした規制論を退けており、表現の自由の本質が、少数者の利益を確保することにあるからには、「「一般の人々が「いいんじゃないの、これは」ということがしきたりとして成り立っていて、議論をしないで「そういうもんだろう」と思っていること」(すなわち世論)を基準とすることはできないと論じている